弘安7年(1284年)開山
当山過去帳より
「姓者山城国住堀川中将師降之子息而人皇九十代後宇多之天皇御宇弘安七甲申開基号東福山一向寺弐相続正中二五歳正月拾五日享年七十有三歳於江州蓮華寺寂」の記載がある。
開山上人「禮知阿尊覚大和尚」
禮知阿上人(らいちあしょうにん)は十七歳にして三井寺に入り、三井尊慶僧正の許で剃髪。
建治(1277年)二十一歳の時、一向上人(一向派祖で法然上人の法曽孫)をしたって出寺し、諸国を廻り、備中から己未津の宮において始めて一向上人にめぐり会い、師事することを得た。
弘安二年(1279年)二十四歳のとき、師僧の勧めに従い、関東に下り、諸国遊化の鍚を当地堀米に留め、一向寺を弘安七年(1284年)開山し、念仏を宣布して民衆を化導された。
やがて当寺を出て諸所を巡鍚されたが、再び当山に入られ第二代住職を相続されたが、弟子の覚阿上人に後を譲られ、関西の教化の旅を重ねられ、師僧(一向上人)の住した江州(現在の滋賀県米原市番場)の蓮華寺(元時宗大本山、現在浄土宗本山)に入山され、一向上人第二代を継承された。
鎌倉時代中期。この頃の天皇は後宇多天皇、伏見天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、執権は北条時宗、北条貞時。
一向寺 住職・役員
住職・代表役員
- 東 好章(アズマ コウショウ)
- 第38世住職
- 平成22年10月17日就任
筆頭総代
- 岡部 正英(オカベ マサヒデ)
総代
- 田中正之(タナカマサユキ)
総代
- 亀山 洋一(カメヤマヨウイチ)
一向寺所有物
仏像等
- 本尊阿弥陀如来 木造(恵心僧都作 安置年月不詳)
- 釈迦誕生仏 銅像
- 薬師如来
- 阿弥陀如来 木像
- 血方観世音菩薩 木像
- 地蔵菩薩 石像
- 宗祖一向俊聖上人 木像
- 其阿上人 木像
- 他
所在地・地図
住所
栃木県佐野市堀米町1102
TEL&FAX
TEL:0283-22-4664
FAX:0283-23-6455